新・共産主義宣言
「能力に応じて働き、必要に応じて取る」ことのできる社会、それが共産主義社会。
ただし、ここで言う「能力に応じて」は資本主義で言う「能力に応じて」とはいささか違う。資本主義において「能力に応じて働く」には、何者かに能力を認め てもらわねばならない。官僚は公務員上級試験に合格しなければならないし、歌手はプロデューサーに認めてもらわねばならない。魚屋さんもお客さんに認めて もらわねば早晩、店が潰れる。
だが、共産主義においては「できる」こと「やろうとすること」だけで「能力に応じて働く」ことだと認められる。言ってみれば、アマチュアでいいということだ。下手くそでも、マンガを描ける者は漫画家だというのが共産主義である。
我々は、すでにこのような社会を知っている。そう、このインターネットの社会、そこに偏在する多くの無料コンテンツがまさにそれだ。インターネット上で公 開されたアマチュアのマンガは、誰でも好きなだけ読むことができる。まさに、能力に応じて働き、必要に応じて取る、社会そのものである。
マンガだけではない。OSリナックスをはじめとする多数のプログラム、政府発表の統計・ニュース・掲示板やプログもそうだ。あらゆるお得情報や公開講座、その他、これからはさらに様々なものが現れるであろう。
インターネットこそは、すでに実現された共産社会そのものなのである。共産主義は破綻したのではなく、ようやく真の姿を現したのである。「真理は必ず再発見される」(JSミル)
そこで、インターネットの特性を調べることによって、共産主義社会が成立するにはなにが必要か、を逆に明示することができる。
インターネットの特性として、誰もが一定の技術さえあれば発表する機会を与えられているということ、そこに載せられたコンテンツはいくらでも複製生産が可能であるということ、かつ、その流通が完璧に近いということ、などである。
この条件を満たすものは、共産化できるが、そうでないものは共産化できない。国家や社会は生産できないし、流通も例えば人の移動ひとつとっても難しい。ゆえに、国家そのものを共産化するということは現状では不可能なのである。
逆に、共産化しやすいものとしては、ありとあらゆる情報財があげられるだろう。共産主義を標榜する団体は、まさにそのための活動をこそするべきであって、プロレタリアート独裁を目論むなどはムチャクチャな行為であると知れ。
共産主義を実現する原動力は、「生産力の飛躍的な増大」である。ところが、産業によって、対象によって、生産力の増大の仕方は異なる。情報財はいくらでも 増産できるが、不動産を増大させることは難しい。国家を生産することなどは、ドラえもんの道具でもなければ不可能である。共産主義化できるものとできない もの、できやすいものとできにくいものがある、ということをまず知らねばならない。
いま現在の時点で、ほぼ完全な形で共産主義化できるものは情報財だけである。ゆえに、共産主義を標榜する団体は、情報財の創造にその全力を注ぎ、できたコ ンテンツを無償で万民に提供する(インターネットで無償配布すればいいだけだ)ことに傾注すればいいだけのことなのだ。日本共産党はなぜこれをしないの か?
共産党はいまや取るに足りぬほど小さな政党になってしまったが、それでも個人などよりは、はるかに強力な力をもっている。共産党が全力を挙げて「ネット無 料講座」を開講すれば、そうとうに大きな影響力を持つことができるだろう。司法書士受験講座とか、大学受験講座、基礎英語講座、上級公務員受験講座なんて のもいいかもしれない。政権などに固執しなくても、これだけのことは簡単にできる。
共産主義者は、国家権力の誘惑を排除せよ。権力を得ようなどと思うな。ただ共産主義化できる事物を増やし、国民に奉仕することだけを考えよ。革命など無用。万民に情報財を与えることこそが我等の使命ぞ。
これをもって、ここに新・共産主義宣言とする。